「ある先生の思い出 前編」からのつづきです。前編はこちらから。

A先生が亡くなった後のお葬式に私も参列させてもらったのですが、同僚の先生方や事務員の方達、経営陣の方達、そして多くの生徒さん達も参列する、規模の大きな式になっていました。参列者の皆さんがA先生の突然の他界を悲しみ、冥福を祈るような雰囲気の中、式は進行していきました。比較的大きな会場だったのですが、参列者が多かったため、私はお焼香をあげる順番が回ってくる以外は会場の外で式の進行に立ち会っていました。

そんな状況の中、A先生の人生を振り返りながら遺影に向かって追悼の思いを語るある方の言葉が、会場内からスピーカーを通して聞こえてきたのですが、その話の内容こそが、私が当時の塾に勤め始めて以来A先生に対して抱いていたその人となりに関する謎を解消してくれたのでした。

その話によれば、A先生は若い頃から腎臓を患っており、大学(大学院だったかもしれません)を卒業して就職する段階で、既に透析を定期的に受けなければならない身体状況であったために、就職も思うように出来なかったということです。そんな時期にA先生が亡くなるまで勤めたその学習塾の経営者の方に、その塾へと迎え入れてもらうことができ、そのことを非常に恩義に感じ、公的な面では、その塾に人生を捧げるような覚悟で勤め始めたというような内容でした。

またその様な形で働き始めた時点で、お医者さんからは、長生きしたければ食事の内容にいつも気を付けるようにということをはじめ、身体に無理をかけないように生きていかなければならないと言われていたそうなのですが、A先生自身は、長生きすることよりむしろ命を縮めてでも好きなものを食べて、好きに遊んで、楽しく生きていく人生を送っていくつもりだと宣言していたということです。

その様な話から、私が感じていたA先生の元々の性格であろう、型にはまらず面白おかしく生きていきたいという面と、それとは裏腹に勤めている塾の職務に対しては無条件に従うという姿勢と、それでいて色々な状況に対しておおらかに対応できるこだわりのなさなどの一見矛盾しているように思われたA先生の側面が、私の中で見事に統合されたのでした。

そのようにA先生に対する自分なりの理解が深まっていく中で、私の胸に強く迫ってくるようになったのが、A先生が常に死を意識して生きておられたということに対する理解でした。

よく「明日死ぬと思って、今日をかけがえのない日として生きよ」という類の教訓めいた表現を見聞きすることがありますが、まさにA先生は、常に自分がいつ死んでもおかしくないという状況の中、命を惜しむことなく公的にも私的にも、自分で選んだ生き方をしておられたのだと、私には理解されました。

A先生が亡くなられる前、その当時の少し前に流行した「私のお墓の前で泣かないで下さい~」という歌詞の「千の風になって」という歌を、鼻歌まじりによく口ずさんでおられたのを思い出しますと、まるで自分の死期が近づいていたのに気付いておられたような感じもします。

私はそれまでも出来るだけ自分の正直な思いに反することなく生き、後悔のない人生を送ることを物質的な豊かさよりも(もちろんそれも大事ですが)優先させて生きてきたつもりだったのですが、A先生と出会い、その生き様を身近に感じさせて頂いたことで、限られた人生という時間をどう生きるべきかということに対して、言葉では表せないほど真摯な気持ちで問い直す機会を授けて頂いたように感じたのです。

その様な意味でA先生との出会いとお別れは、私が悔いなく人生を生きぬくことに向けての大きな道標として、これからもずっと私の中で生き続けると思われます。A先生、本当にありがとうございました。