「教えることは学ぶこと」などという表現を耳にしたことがある方も多いと思いますが、私の場合は生徒さん達への長い学習指導経験の中で度々そのようなことを実感させられたことがあります。今回はそんな体験のうちの1つを紹介させて頂きます。

それは少人数制の英語専門塾でほぼマンツーマンで教えていたある生徒さんとの体験でしたが、ここでは仮にA君とさせて頂きます。

そのA君を初めて担当したのは、A君が高校1年生になったばかりの時でしたが、その時点で非常に英語が良く出来、模試の偏差値としては70近い高い値が出ていました。ですから私の授業においても、長文問題でも文法問題でも、とても正解率が高く、その出来具合には感心させられました。しかし正解を出している問題であっても、理解度の確認のため、なぜその様な答えになるのかということを問いかけてみると、A君から返ってくるのはことごとく文法や構文をきちんと理解出来ているような返答ではなく、ポイントがずれた的外れな内容としか言いようのないものばかりでした。

それまでもたまに、このようなタイプの生徒さん、つまり、文法や構文の正しい理解によってというよりは、元々の頭の良さと要領のよさに加えて英文慣れしていることの相乗効果によって、良い成績を残す生徒さんに出会ったことはあったのですが、それにしても問題の正答率の高さにおいてはA君は飛びぬけていました。

とは言え、それまでの同じタイプの生徒さん達同様、中学校レベルの英語から格段に難しくなっていく高校レベルの英語、特に大学受験レベルの英語となると、きちんとした文法や構文の理解を欠いたままでは、いずれ必ず通用しなくなると私には当然のように思われたので、問題の出来不出来とは関係なく、文法や構文の正しい理解と習得をさせるべく、A君に対して厳しい感じで授業をしていくことになりました。

しかしそのような厳しい感じの授業の中でもA君は少しもつらそうな表情を見せず、いつも一定の明るい笑顔を見せながら授業を受けてくれていました。そんな状態で1年、2年と時は流れていきましたが、相変わらず文法や構文は消化しきれないまま、しかし問題自体はきちんと正答できるという高1当初と同様の状態が続いていました。それでも私としては高3~大学受験レベルの英語になってくると、この状態のまま良い成績を維持することはやはり不可能であろうという思いがありましたので、さらに厳しく細かい内容にまで及ぶ文法指導に重点を置いた授業を続けていきました。

しかし受験勉強が本格化する高3の後半に入っても文法理解はおぼつかないまま、成績はかなり優秀という状況は変わりありませんでした。この頃になるとさすがに私も英語の学力というものに対して、それまでとは違った見方をする必要があるような感じがしてきていて、A君の英語に対する取り組み方や学力の質に関しては、それはそれで1つのタイプとして受け入れなければならないという気がかなりしていました。

そして受験の時期が到来し、A君は高校入学当初から志望していた○○外国語大学を受験したのですが、見事合格となりました。A君本人から塾においてその報告を受けた際、「英語は多分満点でした。」と笑顔で語ってくれたのが今でも印象に残っています。

このような流れになったA君への3年にわたる指導体験を通じて、私は学習指導者として、学力養成に対するそれまでになかった感覚や見方を身につけることになったのですが、特にそのことに関しては、A君の受験終了後、塾を卒業する際にA君とかわした話が、大きく私を納得させる内容になったのでした。

つづく