その①体験編はこちらから。

その時パッとひらめいたこととしては、お墓参りに行かなかったことを父親が怒り、私に罰を与えたのではないかというようなことでしたが、もちろん確かめようもないことなので、ただ何とも言いようのない不思議な出来事として記憶に強く刻まれる体験となったのです。この体験はその後も時々思い出すことになっていきましたが、真理探究をし始め、特に深層心理学を学んでいくうちに、この体験の意味に対する解釈が自分なりに構築されていきました。

現在における私のその解釈としては、父親からの罰などではなく、私が無意識の中に押し込めた思いが、物理的現象として私に提示された出来事だったということです。私達人間は皆、他の生き物と違い、意識と無意識(=顕在意識と潜在意識)という二重の意識構造を持っているわけですが、自我意識を中心とする(顕在)意識にとって受け入れるのに苦痛を感じるような思いや感情は無意識(潜在意識)内に追いやり、自我としては意識せずに済むようにすることが多くあるのです。

 

 

しかし、無意識下に追いやられた思いや感情は、そこで生き続け、(顕在)意識により受け入れられようと(顕在)意識に圧力をかけてくることになります。そして長期に渡って無意識下に抑圧された思いや感情のエネルギーは、(顕在)意識に受け入れられないと、やがてその人の身体に出口を求めて様々な身体の病的状態を引き起こすことになるとも言われています。

ですから、どのような体験をしてどのような思いが生じたにしても、それを自分の一部として受け入れた上で、心のバランスをうまく取りながら生きて行くことが、心身共に健康でいることにつながるのです。

ここまでの考え方は一般的にも知られていることなので納得される方も多いのではないかと思いますが、無意識内に抑圧された強い思いのエネルギーが、身体症状を超えて、その人を取り囲む環境に物理的現象を引き起こすこともあるという考えも存在しています。

このような考え方は、ユング派の深層心理学の考え方の中に見られたりしますが、非科学的だとして敬遠される傾向もあります。しかし河合隼雄さんのカウンセリングの事例報告と解説などの著作物を読んでいると、ある人の無意識的抑圧状態とその人の周囲の人間関係や出来事との間に何らかの相関関係があるようにしばしば感じられ、私としては、その様なことはないとは言い切れない感じがしています。

そのような点から、私のお墓参りの日の体験の意味を解釈しますと、お墓参りに行かないと決める際に、父親に対する申し訳なさや、罪悪感などのネガティブな思いが相当強かったにもかかわらず、その思いをちゃんと受け入れることをせず、適当にごまかしてそんな思いはないかのように、楽をしたいという思いだけを優先させてしまったため、無意識の中に追いやられたネガティブな思いが私(=自我)という顕在意識に対して存在を認めさせるべく、体験編で述べさせて頂いたような災難となる現象を引き起こしたということになるのです。

もちろんこのような解釈も私の単なる推測にすぎませんが、私としては非常にしっくりくる解釈であり、そのお墓参りの日の不思議な体験を思い出すたびに、このようなことを同時に思い巡らすように今ではなっています。