今回は私が社会人になりたての頃の奇妙な体験談をお伝えさせて頂きます。

私の父親は私が14才の時に亡くなっているのですが、それ以降毎年、母親と弟と私の3人でお盆になると父のお墓参りへ出かけていました。

私が社会人になりたてのその年のお盆も3人で出かける予定だったのですが、どういうわけかその日私は出かけるのがとても面倒に感じ、弟と母親を送り出して自分は家に残ることにしたのです。しかしそう決める過程で、父親に対する申し訳ない気持ちというか、罪悪感というか何かネガティブな思いが生じていたので、母親達を見送る時もなんとなくすっきりしない気持ちがしていたのでした。そんな気持ちの中でしたが母親達を見送った後は、せっかくできた自由な時間をくつろいで過ごそうと考えて、ネガティブな思いは心の奥に押し込めたのでした。

一人になった私はまずコーヒーでも飲もうと思って台所に行き、冷蔵庫の上に置いてあったインスタントコーヒーのガラスでできた容器に手を伸ばしました。しかし上手く掴むことができず逆に冷蔵庫の背面と壁との間にその容器を落としてしまったのです。するとその直後「ゴツン」というような鈍い音がしたかと思うと、なんと冷蔵庫の下から水が勢いよく流れ出し始めたのです。

何が起きたのかとあっけにとられながら、冷蔵庫を少し動かして見ると、その後ろの壁から口をふさいだ状態で水道の蛇口の先端が出ていたのですが、落下したインスタントコーヒーの容器(大きな容器で結構重いものでした)がその蛇口の先端を直撃し、そこを割ってしまったということがわかりました。そしてそこから水がどんどん流れ出てくるということだったのです。

私は途方に暮れたような気分になり、どうすることが一番良いのかということも考える余裕もないまま、とにかくとめどなく流れて出てきて台所中に広がってゆく水を何とかしなければと、とりあえず雑巾で水を吸い取り、バケツに絞り出す作業を始めましたが、当然埒があきませんでした。

あまりの無力感のため逆に少し冷静になった私は、水道業者さんに来てもらうことを思いつき電話をしたのですが、すぐにはこちらに来てもらうことができず、しばらく待たなければならない状態でした。またその電話で家の外にある水道の元栓を締めれば水は止まるというアドバイスを受けたので、藁をもすがる思いで元栓を探して取り組んでみたのですが、さびついていて素手では容易に回す事ができませんでした。それでも何度も無理してチャレンジしているうちに、手から出血するような厳しい状況になり、そうこうしているうちにも台所にはどんどん水が溢れ出てきていて、私は肉体的にも精神的にもひどく追い詰められていました。

そんな中私は元栓に取り組むのはやめ、台所に溢れてきている水が台所から廊下へ流れ出すことだけは食い止めようと考えを変え、水道業者の方が一刻も早く来てくれるのを祈りながら、再び雑巾で水を吸い取ってバケツに絞り出す作業を繰り返し始めました。どのくらい時間が経過したのかはっきり覚えていませんが、水の吸い取り作業をひたすら続けているとやっと水道業者の方が到着し、元栓を締めて水を止めてもらい割れた蛇口を修復してもらいました。

これでやっと水は止まったわけですが、後にはまだびしょびしょになってしまった台所の状態をきれいに元に戻すという作業が残っていました。私としてはこの出来事を母親と弟にはなるべく知られたくない、少なくとも台所は2人が帰ってくるまでにはきれいにしておきたいと思い、懸命に清掃作業を続けたのでした。そしてようやく台所がきれいな状態に戻りほっと安心していると、母親と弟がお墓参りから帰ってきたのでした。父親のお墓はかなり遠いところにあり往復するのに5時間以上はかかるので、私はそんなにも長い間水と格闘していたことになるのです。

しかしその時の私にとってはこの出来事があまりにも特殊だったため、日常的な時間感覚では捉えることができず、とても長かったようなあっという間だったようなよくわからない感じがしていました。それと同時に、お墓参りという面倒を避けて家でくつろぐはずが余計に面倒なことになり、こんなことならお墓参りに行っておけばよかったという後悔が心をよぎりましたが、冷静に考えてみると、コーヒーの容器が壁から突き出ていた蛇口の先端にちょうど命中したことや、この一件が落着するとほぼ同時に母親達が帰ってきたタイミングの良さことを考えると、単なる不運な偶然の出来事ではなく何か意味のある出来事のように感じられてきたのです。

意味解釈編へと続く