現代社会はストレス社会であると言われるように、人類の歴史の中でもかつてなくストレスが溜まりやすい社会構造になっているようです。

ではどのような点でストレスが溜まりやすいのかということですが、それは現代の資本主義経済体制下で生き延びるために万人に課せられる能率主義、成果主義という前提だと言えるのではないでしょうか。本来人類は他の生物種よりもずっと性質や能力における個体差が大きい種だと思われるのですが、その様な人類の一人一人に対し、同じ一定の基準を設け、その基準以上の能率や成果を当然のように要求する社会構造が多くの人々に過剰なストレスを生じさせているように思われます。その様なことに関連して、興味深い事例報告がありますので紹介させて頂きます。

どの様な事例かと申しますと、ある会社内に、仮にABCDという部署があったとして、それぞれの部署内に他の社員より特に抜きん出て能率よく仕事をし、大きな成果を上げる優秀な社員がいたとします。そして各部署にいるそのような特に優秀な社員達を集めて新たなEという部署を作るとどのようなことになるかということです。単純に考えると新たなEという部署は全員が優秀な社員ですから、そのまま皆が能力を発揮すればその部署の上げる業務上の成果はきわめて素晴らしいものになるはずです。ところが実際は期待された程の特別な大きな成果が上がるわけでもないということなのです。つまり新たな部署でも、もとの部署と同様に抜きん出た能力を発揮する人とそこそこの人、そしていまひとつパッとしない人というような序列が出来てしまうということなのです。

ではどうしてそのようなことになっていまうのかということに関しては、科学的に絶対正しいということは今のところは言えないらしいのですが、報告書の解説によりますと、集団として健全に生き延びることが出来るように、それぞれの人がバランスをとるための役割を、無意識的あるいは本能的に選びとっているのではないかということです。

もちろん新たな部署においてもある程度成果を上げることは生存のために必要なことです。しかし各人がその潜在能力をお互いに最大限に出し合って並外れた成果を出すようになり、それがあたり前だと会社から見なされ、さらに大きな成果を期待されるようなことになると、その部署ではいつも緊張感がみなぎり、各人が感じるストレスは異常に大きくなるという事態になりかねません。そのようなことを防ぐために、本人たちが意識していないレベルで、集団的及び、個人的な防衛本能が働き、生存に適した環境を作り上げるための役割を、それぞれが演じるようになったと思われるということです。

もしそうだとすれば、私達の身の回りにいる、目に見えて能率的で大きな成果を上げる人も、そうでない人も、あらゆる人々がその所属する集団全体が物質面だけではなく、精神面においても健全に生存が出来るように、本人も気付かないまま必要な役割を果たしながら生きていると言えるのではないでしょうか。その様に考えるとあらゆる人々に対して、「いつも御苦労様です」と言いたい気持ちに、私はなるのです。