かなり若い頃に勤めていた学習塾の生徒さんに「先生は家康やなあ」と言われたことがあります。家康とは徳川家康のことですが、織田信長と豊臣秀吉を加えた三大戦国武将の「鳴かぬなら・・・ホトトギス」というそれぞれの生きる姿勢を良く表している有名な俳句をもとに、私の教師としての姿勢を他の二人より家康に近いものだと言いたかったようです。

もちろん私は家康のような器の大きい人間ではありませんが「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という物事に対する家康の姿勢のどういうところがその生徒さんから見て私と似ていたのかということと共に、他の二人の戦国武将を加えて三人のホトトギスの俳句に表されている生きる姿勢の本質的な違いについてその後かなりたってからじっくり考えるようになりました。

それは大河ドラマなどでこの3人の武将の人生ドラマに触れる機会が年齢と共に増えるようになったからでしようが、私自身30歳頃から自分の生き方と直結するような真理探究をしてきていて、それにより学び実感していた人生の教訓とリンクする部分もあったからだと思います。ではその3人の戦国武将の生きる姿勢を端的に表しているそれぞれの俳句とその人生模様から、私なりに理解している教訓を紹介させて頂きます。

まず信長の「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」という句についてですが、これはまさに武力による力づくのやり方で願望を実現しようとし、その際自分の思い通りにならない者や状況はその存在を否定して滅ぼしにかかる信長の姿勢をはっきりと表しているように私には思われます。

次に秀吉の「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」という句は自らの知力に自身を持ち、不利な状況でも策略や作戦を駆使して望む結果を手に入れた秀吉の自己肯定感が、よく表されているように思われます。

最後に家康の「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という句ですが、これは幼少期から大変な逆境に耐え忍びつつもじっくりと力を蓄えながら、あせったり力づくに走ったりすることなく世の状況の変化に根気よく目をくばり、自分の願望が実現しそうな波がやって来るまで待ち、そうと見るとすぐに行動に乗り出し天下を治めるに至った家康の生きる姿勢を、非常によく表していると思われるのです。

家康の俳句は表面的に捉えただけでは、短気な信長に対して気の長い家康の性格を表しているだけのように思われますが、ホトトギスが鳴くまで待つというのは、ホトトギスが自ら鳴くまでその状態を見守り、健康に生き続けられるように餌を与えるなどの世話をし続けながら、その間ホトトギスはいつかは鳴いてくれるという希望を失わないでいるということだと解釈出来ます。

そのようなことを踏まえて、この3人の戦国武将の生きる姿勢を簡単に表現すると、力の信長、策略の秀吉、根気の家康ということになりますが、私にとってさらに興味深く感じられることは、このような生きる姿勢は願望達成への姿勢だとも言えるものですが、望むものを手に入れる姿勢とそれを失う状況は、合わせ鏡のように対になっているということです。

どういうことかと申しますと、力づくなやり方で天下統一の寸前まで登りつめた信長は、自らの家臣である明智光秀による、自らが行使してきた力のまるで反作用のような謀反によって滅ぼされてしまいます。つまり力で無理やり手に入れたものは力によって無理やり奪わるという形になっています。

また秀吉は知力をめぐらし策略を駆使して天下を手に入れましたが、秀吉が亡くなった後豊臣家は家康に滅ぼされてしまいます。その際家康は武力による力づくの攻撃によってというよりは、大阪城の周りの堀を豊臣家に埋めさせるなどの策略を駆使して、豊臣家を滅ぼしてしまいます。ここでは策略によって得たものは策略によって奪われるという形になっています。

最後に家康ですが、彼は武力や策略は手段としてはもちろん使うにしても、それらによって強引に望む結果を得ようとするよりも、上記のように時の流れによる状況の変化を根気よく見守り、機が熟したと見た時にその波に乗るような行動に出て、天下を手に入れるに至ったわけです。そしてそのような忍耐と根気の姿勢で手に入れた天下、つまり江戸幕府の時代は200年以上の非常に長期間にわたって存続し続け、さらに江戸幕府が終焉し明治新政府に移り変わる際にも、徳川家は滅びずにすんだという結末になっています。

ここでは時や状況の流れに逆らわず、かといってあきらめもせず、忍耐強く気長に構えて得たものはその分長くとどまってくれ、さらに無理やり手に入れた要素が少ない分、失う時も穏やかな状況になっていると見ることが出来ます。。

以上のような3人の戦国武将に見られる、望むものの手に入れ方と失い方の相関関係は普遍的な人生の法則のように感じられ、大切な教訓として今も私の中に生き続けております。