以前予備校での大学受験対策において過去問の解説をしていたとき、興味深い内容の英語長文に出会ったのを思い出しましたので紹介させて頂きます。それは以下のような内容でした。

ある外国の小学校において確率の学習を授業で取り上げる際、その担当の先生はクラスの生徒を2つのグループに分け、それぞれのグループに違った指示を出すのですが、1つめのグループにはコインを投げ上げさせ、表が出たか裏が出たかの結果を記録させ、もう1つのグループには実際にコインを投げ上げさせるのではなく、想像上で投げ上げた結果を記録させるということです。

この行為をそれぞれのグループに100回~200回繰り返えすよう指示した後でその先生は教室を出て行き、それぞれのグループの生徒達はその行為の終了後、コイン投げの記録を無記名で先生の机の上に置くことになっています。

その後先生は教室に戻ってくるのですが、机の上に置かれたそれぞれのグループの記録を見て、実際に投げ上げをしたグループの記録と想像上の投げ上げをしたグループの記録を先生はいつも正しく言い当てるということです。生徒達は先生がこっそり覗いているとか、生徒の中に密告者がいるのではないかと疑うのですが、先生からすればそのような小細工などせずとも一目瞭然に判別出来るということなのです。

なぜその先生にはそのようなことが可能なのかと申しますと、それはコインの表が出るか裏が出るかという2分の1の確率に関して、人が考えるその確率の現れ方と現実におけるその確率の現れ方では大きな差異があるからなのです。

ではその差異とはどういうものかと言えば、人が2分の1の確率の現われを想像する場合、今のコイン投げ上げで申しますと、例えば裏裏表表裏表裏裏裏表表表のように短いサイクルで、1対1の割合が現れるような結果を思い描いてしまうのですが、実際の現われ方としては7回も8回も同じ裏や表が続くことが珍しいことではなく、100回や200回続けて総合すると、やっと1対1の割合で表と裏の数が揃ってくるという違いなのです。

ですから一見してすぐ2分の1に見える現れ方は現実のものではなく、デタラメな現れ方に見える方こそ現実のものだと言うことが出来るので、その先生はいつも先に挙げたような正しい判断が下せるのだということなのです。そしてこのような内容の文を読んで私が強く感じ入ったことは、人の人生における幸運不運についてのことなのでした。

どういうことかと申しますと、現代社会においては多くの人がなんらかの能力を身につけ、そのような能力を生かして夢や目標を達成することを目指しているように思われるのですが、自分の持っている能力がどのように発現されるかは、その時々の自身の体調や精神状態、あるいは外的状況が自分にとって有利なものか不利なものかという自分ではコントロールできない要素、つまり運に左右されると言ってよいのではないかと思われ、そのような運の現れ方を上記のような確率の現れ方として捉えてみることが出来るのではないかということです。

能力の発現に関する運の現れ方を確率として捉えてみた時、能力に見合った望ましい結果が生じる場合と能力通りの結果が生じない場合という2つの可能性があり、従って2分の1確率となるのですが、前者の場合を幸運、後者の場合を不運と捉えた上で、上記の話で見たような確率の現実における現れ方を幸運不運の現れ方に当てはめてみた結果、次のように考えてもいいと思われるのです。

つまり運よく能力に見合った望ましい結果が出る場合もそうでない不運な場合も共に何回も何回も連続して現れること自体は、特に珍しいことではないということになります。もちろん運のよい状況が続くことに関しては誰もが喜んで受け入れ、疑問視することはありませんが、不運な状況が何回も連続して現れると、多くの人が自信をなくし、目標や夢をあきらめてしまうことにつながってしまいがちです。

しかし、上記の英語長文の話に見られるような確率の現実的な現れ方のことを当てはめてみると、不運な状況が現在いくら連続していようとも、長い期間にわたってチャレンジし続ければ、やがては必ずそれとバランスをとる数の幸運な状況が、現れてくるということになるはずなのです。

ですから、夢や目標の達成に向かう活動においてとても大切なことは、いくらうまくいかない状況が続いたとしても、成功してしかるべき能力を身につけるように精進しつつ、チャレンジし続けることだと言えるのではないでしょうか。まさに「継続は力なり」という言葉通り、あきらめずにやり続けることが、成功への最大の秘訣だと言えましょう。